2021年11月03日

妄想と光

例えばの話し、

30cm水槽の中で飼っていた5匹のグッピーが増え続けたらどうするだろう?

この水槽の中が平安及び秩序を保つためにはどうするだろうか?

この水槽の主は先ず増え続けるグッピーを調整するために、他の水槽へ移すかして数を減らすだろう。

ならばこの地球上で増え続ける人類を、この地球の平安及び秩序を保つためにはどうすればよいのだろうか?

一部の人類を定期的に消滅させるしかないだろう。

ただ、水槽の場合はグッピーと意思疎通ができないから、グッピーには何もわからないまま他の水槽に移されるだけだ。

しかし、知識を持った人類にはなるべく争いが起きないよう工夫して人類を減らさなければならない。

だから、グッピーが水槽から水槽に移されるように「何もわからないまま」がカギだ。その「何もわからないまま」と言う感覚を利用して、ある程度の人にとって人智を超えるような方法がよいだろう。

かなり上位の博識者以外を省き、何もわからないままなるべく気付かれぬよう人類をどうやって消滅させるか?
  
それが「天災等」ではないだろうか?人は人智を超える出来事をあまり疑おうとはしない。だから天災等と言う概念は都合のいいものになるだろう。

もしも、陰謀論のようにウイルスが天災のように偽装され、尚かつワクチンによって人類が調整されていくのだとしたらどうだろうか?

あまり考えたくはない話だけど、人それぞれ思うことはあるだろう。

国は絶対的な善ではない。力を持ったから一般的に正義と称されているだけだ。その中身は善悪を抱えた人の集合体。だから国の行いを疑う者が現れるのもまた必然だろう。

身近な人がいなくなるのは辛いけど、もしもそうやって水槽と言う名のこの地球の平安及び秩序が守られてきていると考えると、私は無力でやりきれない気持ちに苛まれる。

一個人では全体の大きな力には逆らえないのが事実。だけど全体の恩恵を受け取ることはできる。

このように矛盾した世界をどう生きるか?

この世界は意識による反映であり繁栄。意識の創造は全て主によって行われる。

この世界は何が起きるかわからない。サイコロの目がどう出るかわからないように。

ならどの目が出ようとも、日々ありふれた恩恵を取りこぼさないように生きることが大切ではないだろうか。

常に善悪は表裏一体。悪いことの裏には必ず善が存在している。その真理を確実に理解するのなら、どんなサイコロの目がでようとも善を探し出せるだろう。

だから私はどんなサイコロの目が出ようとも善を探し出して生きて行くだろう。

もし、あなたも表裏一体の悪の部分だけを見るのをやめたなら、この世界に少しは光を見出すことができるだろう。

少しでも多くの人がそうして生きれたら幸いです。

今日は半分妄想と、そして、新たな光の話をしてみました。



追伸

あなたの「自由」は何人にも奪うことはできない。これは福音だ。そしてこれが真実だ。

by あなたを司る者より


以上。



妄想と光

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Posted by 優。 at 00:41│Comments(0)
 
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